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新書ではありません。 ではなぜこの本をここに紹介したかというと、私の今のボスが書いた本であるからだ。この本に書かれている内容自体について評価するのは、内容を知っている人間としては難しい(むしろ他の人がこの本をどう読むのか知りたい)。 私にとってのこの本の意味は「本を書くとはどういう事なのか?」という部分にある。「本を書く」を「体系的に新しいなにかを主張する」と置きかえても良いと思う。 以前は単に読む側の人間だったが(それ以前にあまり本を読まなかったが)、最近本を書く側の人間との接触が多くなった。また、本の内容を評価するだけのものが自分の中に蓄積してきた気もする。そうすると、2つほど気づいたことがある。 1つ目は、「こんな事を本にしていいんだ」とか「まあよくこんないい加減なことを本にして発表できるな。」と言う思い。本は論文と違って査読がない。発表してしまってからの評判よりも売れるか売れないかという商品価値が大事になる場合もある。なにかを主張する道具であるとともに、商品なのだ。だから書いてあることがとんでもなくても「売れれば勝ち」ともいえる。 ただ職業柄か、いい加減なことを発表するのは非常に恐ろしい。科学者にとって根拠の乏しいいい加減なことを言うことは絶対に避けるべきである。そのことによって科学者としての信頼が大きく失われる危険があるからだ。しかし、悪く言えば「思いこみ」ともいえるような主張をまことしやかに展開している本は非常に多い。私が驚くのはその点で、「一般書ならばそれでもいいんだ」という部分である。 断っておくが、ここに紹介した本がその「思いこみ」を主張したものだと言うつもりは毛頭無い。この本に書かれている内容は、ちゃんと査読のある学術論文、しかもNatureなどの一流雑誌に掲載されたものである。(今後、この本に書かれているロバストネスの概念についての私なりの考えは、折に触れてこのブログ等に書きたいと思っている。) もう一点。 それは本に書かれている主張が、その本を執筆するときに突然沸いて出るものでは必ずしもないという事。いろんなところで主張してきたもの、特に内部の人間にとっては「またか」と思わされるほど聞かされた話をまとめたものが本なんだと言うことである。 逆に言えば、自分では飽きるほど言い続けたこと、あるいは飽きるぐらい言い続けられる事を本にせよという風にとらえてもいいのかもしれない。 私は「ああ、それ聞いたことがあるよ」と誰か1人にでも思われたらその話をする気が失せてしまうきらいがあるのだが、その主張自体が新しければ、「自分のオリジナリティ」として、相手が(そして自分が)聞き飽きるぐらいに主張してしまうのも一つのやり方だと言うことであろう。 だからこのブログでも、自分が思いこんでいることを何度も何度も主張していこうと思い始めている。
by Hismoriya3
| 2007-11-16 10:58
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